【日本語と中国語、中日雙語】同じ漢字なのに発音も意味も違う!台湾の従兄が東京を旅行して見たものは?【日語和中文,形同意不同】
日本語と併記した中国語は同じ内容です(中日二か国語)。
日語和寫在一起的中文是相同的內容(中日雙語)。
中国語のネイティブは日本語の意味を予測できる?
中文母語的人能猜日語的意思嗎?
先月は台湾の従兄が、2016年では2度目の東京旅行に来ました。
上個月台灣的堂哥來東京旅行,這是他2016年裡第二次來東京。
従兄は、2016年に日本に来るまで台湾から出たことがありませんでした。
2016年來日本之前,堂哥都沒有離開過台灣。
旅行先に2回も日本を選んだ理由は、日本語も中国語と同じく漢字を使っているからです。
他兩次旅行都選日本的理由是日語和中文一樣都使用漢字。
従兄は中国語ができるので、日本語でも漢字表記であればほとんど読めます。
他會中文,所以日語也主要使用漢字就幾乎能看。
しかし、日本語の漢字は読めても、その日本語の発音は知りません。
雖然堂哥能看日語漢字,但是並不知道它的日語發音。
そこで、従兄は声を発しなくても意思を伝える手段を考えました。
所以,堂哥想出了不出聲而傳達他的意思的方法。
彼は日本に来る数か月前から、旅の行程表を作製しました。
他在來日本的幾個月前,就開始製作行程表。
そこには利用する駅や、食べたい食べ物の名前が含まれています。
那裡面包括了他要路經的車站以及想吃的東西的名字。
その行程表を印刷した紙を持ち歩き、道に迷ったときや注文したい時に店のスタッフに見せます。
他把這個行程表隨身戴著,迷路的時候或者在飯店想點菜的時候可以給服務員看。
このように、従兄は「漢字」を使って日本人とやりとりができるのです。
這樣,他使用「漢字」就可以跟日本人交流了。
ちなみに、この作戦は従兄が日本に着いてすぐ功を奏します。
附帶說一下,堂哥到達日本後他的這個策略馬上就收到了成效。
日本の税関で、従兄はパスポートを提示しました。
在日本海關,堂哥出示了他的護照。
職員「#$□%&△!◇%?」
従兄「やばい、何言っているのかわからない!」
職員「#$□%&△!◇%?」
堂哥「糟糕,听不懂他在講什麼!」
従兄には英語も通じないのです。税関職員と互いに話が通じません。
堂哥英文也聽不懂。跟海關人員雞同鴨講。
最後に従兄が行程表を見せたら、税関を通れました。
最後他拿出他的行程表給海關人員看就通關了。
従兄が何を聞かれたのかは、謎のままです。
堂哥被問了什麼,還是個謎。
従兄が日本に来てからは、街中や電車でいつも漢字を拾って読んでいました。
堂哥來日本後在街頭上,電車裡一直找漢字看。
漢字から日本語の意味を予測しようとしていたのです。
他想看漢字猜它的日語意思。
そんな中、従兄はどうしても意味を予測できない漢字に出会います。
有一天,堂哥遇見了怎麼也猜不到它意思的漢字。
従兄が東京の地下鉄で見た変な漢字とは?
台灣的堂哥在日本的地下鐵看到的奇怪的漢字?
その日、私は20:30まで仕事をした後、日本に来た従兄と合流しました。
那一天我工作到20:30後,跟來日本的堂哥會合了。
12月ですが、昼間の暖かさがかすかに残る、過ごしやすい夜でした。
雖然是12月,但白天的暖和勁兒還稍微剩下一些,很舒服的晚上。
従兄は周囲の日本人が着ているよりも大きな、まるでスキーに行く様なダウンジャケットを着て私を待っていました。
堂哥穿了一件比周圍日本人穿的還大、很像是要去滑雪似的羽絨服等我。
日本が台湾よりも寒いと思い、十分な準備をしたのです。
他想日本比台灣冷,所以做了充分的準備了。
私たちは、従兄が以前から見たがっていた、東京ミッドタウンのイルミネーションを見るため、六本木に向かう地下鉄に乗りました。
我們為了去看六本木MIDTOWN的點燈,坐了开往六本木的地鐵,这是堂哥一直想看的
人は多くありませんが、座席は埋まっていました。
人不多,但位子都有人坐了。
車内は静まり返っており、私と従兄も無言でドアの近くに立っていました。
車內非常安靜,我跟堂哥也不說話站在車門旁邊。
その沈黙を破るように、従兄は突然私に聞きました。
这个沉默被堂哥的发问打断,
従兄「何に反対しているの?」
堂哥「它反對什麼?」
○○反対!みたいな政策ポスターがあるのかな?
我以為有政治標語之類的寫「反對○○!」
私「いや、そんなのないよ。」
我「沒有,沒有那樣的東西啊。」
彼が指さした先にもそのようなポスターは見当たりません。
他指的方向也沒有那樣的廣告。
本当に言っている意味がわからないなぁ。
我想,真聽不懂他的意思。
従兄「ドアの上のスクリーンだよ。」
堂哥「是車門上面的屏幕。」
なるほど!そこにはこう書いてあります。
「反対側のドアが開きます」
原來是這樣啊!那裡寫說,
「反対側のドアが開きます」(相反方向的門要開)
私「え?別に反対しているわけではないよ。あっちのドアが開くって意味だよ。」
従兄「え?ドアが開く?」
私「そう。反対のドアだから。」
従兄「反対のドア?」
2人「………」
私「逆方向のドアだよ。」
我「咦,它並沒有反對什麼。是那邊的門要開的意思啊。」
堂哥「嗯?門要開?」
我「對,是反對的門要開。」
堂哥「反對的門?」
2人「………」
我「是相反方向的門。」
しばらくそんなやり取りをした後、やっと互いに意味を理解しました。
我們那樣講了一段時間,才互相理解對方的意思了。
電車の中で使われていた日本語の「反対」は、「方向が逆の関係にある」という意味です。
在電車裡使用的日語「反對」有「方向相反」的意思。
しかし、中国語の「反対」にはそのような意味がありません。
但是,中文的「反對」沒有那樣的意思。
私はそのことを知りませんでした。
我當時都不知道。
従兄は「反対」という単語を見たとき、「同意しない」という意味だと思いました。
堂哥看到「反對」這個詞的時候,他認為是「不同意」的意思。
そのため、ドアの上のスクリーンの「反対側」を見て、「何に反対しているの?」
と疑問に思ったのです。
所以他看到車門上面寫「反對側」就有了「它反對什麼?」的疑問了。
私と従兄は、度々このような会話をします。
我和堂哥有時候會有這種會話。
そのとき私は、「この人、また変なこと言ってるんですけど。」と思います。
那個時候我會想, 「這個人又在說奇怪的話。」
そんな時こそ、忍耐強く自分の視点を話し、相手の考えを理解すれば、更に広い視野で物事を見ることができるようになります。
那種時候才需要耐心地談話,解釋自己的看法,理解對方的想法,讓我可以有更广阔的視野來看事情了。
おまけ
拾遺
私達が普段何気なく使っている漢字の意味は、場所が違えばその意味も違います。
我們平時無意之中使用的漢字,地方不一樣,它的意思也会不同。
いつも見ている漢字に違う意味を見付けると、いつもの生活がちょっぴり変わってきますね。
我發現我們經常看到的東西,比如漢字,帶有不同的意思的時候,我覺得每天的生活會稍有不同。
余談ですが、従兄の今回の東京旅行の一番のお目当ては日本が誇る紅葉とイルミネーションでした。
這是題外話,這次堂哥來東京旅遊的最大的目的是,日本引以為豪的紅葉以及點燈。
従兄「台湾にこんなに紅葉は無いし、イルミネーションも日本みたいにスケールが大きくない。東京に住んでて、それに慣れてるからって、ちゃんと見ないなんてもったいないね。」
堂哥「台灣沒有這麼多紅葉,台灣點燈的規模也沒有日本大。你住在東京,已經習慣它們了,所以不好好看它們的話是很可惜的事。」
最後に従兄は「もみじを見に来たのに、銀杏ばかり見てしまった。」と言って、台湾に帰って行きました。
他最後說了一句, 堂哥「我本來是來看紅葉的,結果是看了很多銀杏。」 就回台灣了。
この記事を書いている人
寫這篇文章的人
東京で獣医師をしているNanaといいます。
両親は台湾出身ですが、日本で生まれ、日本で育ちました。
我叫Nana,在東京當獸醫。
我父母親來自台灣,我在日本出生,在日本長大。
私は大学に入ってから中国語を勉強しました。
中国語を学び、台湾にいる親戚や友人と話せるようになりました。
我進大學以後開始學習中文。
學中文以後,開始跟台灣的親戚朋友有交流。
驚いたのは、彼らが日本にとても興味を持っていること。
讓我最驚訝的是,他們都對日本非常感興趣。
そこで、日本に興味を持ってくれる人に私からも生の情報を伝えたい。
同時に、日本に住んでいる人にも新たな発見をしてほしい。
所以,我開始覺得我也想要給他們日本當地的消息。
同時,想讓在日本的人們也有新的發現。
そんな「独自のモノづくり」を目指し、文章を書くことに没頭しています。
追求我獨特的價值,瞇著寫文章。